崖崩れのおかげ

2021-05-04

こんにちは! 意舞真愛菜です。

今日は「崖崩れのおかげ」についてのお話です。

結論から言ってしまうと、ラッキーとアンラッキー、希望と絶望、それは解釈次第ということについてです。

 なぜ頂上独り占めできたかというと

 もしワイナピチュの頂上で1人きりにならずに沢山の人達がいて、登ったり下ったりしていたなら、反対側に降りてしまうことはなかったと思います。

ではなぜ、「おひとりさま貸し切り状態」になったのか、について

それは、ふもとの山岳鉄道の駅からマチュピチュの遺跡に行くバスの登山道路が、2週間前の崖崩れで不通になり、山の途中までしか行けなくなったからでした。

私たちが宿泊していたホテル以外の人々は、もともと最終バスの時間が早いのに(確か14時だったかな?)中腹まで歩いてバスに乗らないとそれぞれのホテルに帰れないので、遺跡観光を早々に切り上げて帰ってしまいました。

残っていたのは、私たちの泊まった山の上のホテルの宿泊客のみだから、マチュピチュ遺跡内の人もまばらだったし、ワイナピチュに登っていた人もいなくなっていたのでした。

その後起きたこと

 やっとの想いでワイナピチュをおりて、ツアーメンバーの二人に会ってホテルに帰った後のことです。

ワイナピチュゲート近くであった彼女たちが、夜9時になってもレストランの食事に現れなくて、まだ帰ってないことにみんなが気づき、大騒ぎになりました。最後に会ったのは私です。

マチュピチュの入場口の門番のおじさんに事情を話して、特別に開門してもらい、ライトを持ってツアーのみんなで一緒に二人を探しに行くことになりました。

マチュピチュの真ん中でワイナピチュからやっとの思いで帰って来た彼女たちとあえました。

ホテルの明かりに導かれて

 彼女たちは思ったより早く日が暮れて、びっくりするほど真っ暗闇で、タバコ吸わないのに、たまたまポケットに持っていたライター(キャンドル用?スマッジ用?)で道を照らしてきたけれど、途中でガスが切れてしまい、動いたら危ないので野宿を考えたそうです。

でも野宿しようと思ったところからもうちょっとだけと、手探りでカーブを曲がったらホテルの明かりが見えたそうで、それを頼りにゆっくり這いつくばりながら、何時間もかけて降りて来たと言っていました。

会えてからは、みんなで喜び、わいわいがやがやと夜の遺跡見物しながら帰ってきました。

ウルバンバ川の白い光

マチュピチュの入場口を抜けてホテル側の敷地に入ったところで、不思議な光を発見しました。昼間、下にウルバンバ川が見えていましたが、夜、人口のものは何もないはずなのに、大きな怪しい白い光でした。

光る昆虫だったのか、光を出すたくさんの植物だったのか、不思議なものをみんなで一緒にみていました。

今でこそ言えることですが

  今でこそ言えることだとは思いますが、迷子になっても頂上独り占めはラッキーだったと思います。

また、マチュピチュ周りには未発掘の遺跡が埋もれていて、いつの日にかマチュピチュの壮大な都市の謎をもっと解き明かしてくれるかもしれません。その一部をちょっとだけ見せてもらえた私は、戻れたからこそ言える事ですがこれもラッキーだったと思うのです。

私がワイナピチュを後にした後、日が暮れて戻って来るのに大変な思いをした二人組のおかげで夜のマチュピチュ探検もウルバンバ川の怪しい白い光を見ることができました。

闇の中から奇跡の生還を果たした二人は、普通ならできないラッキーな経験をツアー仲間のみんなにもたらしました。

ホテルに泊まれたのは

それもマチュピチュ遺跡と土地続きの山の上のホテルに泊まれたからこその出来事です。

ふもとのホテルの人達、つまり早々に山を降りた人達にくらべて、私たちは倍以上のゆっくり遺跡観光できたと思います。

夜もそこにいるのですからずっとマチュピチュのエネルギーの中にいられました。そのエネルギーはまるで水晶の上にいるかのような感じのエネルギーでした。

食べ物は山の上なのに美味しくて新鮮でした。

「マチュピチュのエネルギーが食べ物や我々人間をフレッシュにするのだろうなあ」と一行の誰かが言っていたのを思い出します。

ツアーリーダーは、「このホテルに泊まるのは競争率が高く、なかなか予約が入らなかった」と言っていました。

ところが、ツアー直前になぜかキャンセルがあって、キャンセル待ちしていた私たち一行に順番が回ってきて泊まれたそうです。

おそらく、崖崩れでバスが不通になったからでしょう!

山の中腹でバスから降りてみんなそれぞれにスーツケースやリュックサックやそれまでに買ったお土産やら大荷物を持って高山病で苦しい顔つきで頑張って山を登らなければなりませんでした。

ポーターの少年たちも荷物を運んでくれましたが、それ以上の荷物があったのです。

高山病にならなかった私は自分の荷物をホテルに置くと、みんなの荷物運びを手伝うために3往復しました。

私が3往復出来る程、高山病はみんなの動きを遅くしたのだと思います。

それほどの思いをしても、その崖崩れのおかげで得られたラッキーは、そのつらさや大変さを上回るものだったと思います。

崖崩れに感謝です。

「崖崩れで道路が不通」という不運は私たちに沢山の幸運をくれました。